言葉のランドスケープ

日々のときめき・きらめきを見つめて

時間は優しく流れてゆくから

焦ったり、粗末にしたなぁと反省したり、未だに時間との上手な付き合い方を掴めてはいませんが。

たとえ幻想だとしたって、人間に時間の概念があって良かった!と心から思えた話。

* *

その①
先日古本屋さんをうろついていたら、20代半ばに読んだエッセイ本を発見して、わぁ懐かしい!とページをめくっていたら、ある一篇の会話文に、目が釘づけになった。

以前に読んだ時は、文中のふたりが交わす言葉の真意をよく汲み取れなかったのに、分からないことが何だか悔しくて、自分の内面だけでの話なのに、背伸びして、理解している体にした覚えがある。
それらの部分の言葉達を今読んだなら、心へ自然と染み入るように、自分へと入ってゆくのだ。

そのエッセイの内容は
自死を選んだ友人が生前に発していた危うさに、気がつけなかったこと』を中心に書かれたもので、前回購読時から今日まで、というより人生において、わたし自身、似た境遇に置かれたことなんてない。

だからこそ、似たような追体験をしなくとも、平凡なことを追って追われての日常の中でも、やはり感性は瑞々しさを目指して育まれ続け、他の人の人生に寄り添える力も磨かれてゆくのだなと、人間の奥深さを、また思い知らされてしまった!

自分を大きく変化させるためには、大きなタイトルが付くような出来事に加わらなくちゃいけない、みたいな前提があるわたしには、すごく痺れる体験だった。

* *

その②
6年ほど前にFacebookを始めた際に、繋がるつもりも無いのに、興味心から中学時代の友人を、検索にかけてしまったことがある。

部活が同じだったCちゃんを見つけて、プロフィールを覗いたところ、勤務先が国内外で有名な建築事務所になっているではないか。
『そういや昔から、インテリアに興味あるって話していたなぁ。努力の積み重ねが、今のプロフィール欄に反映されるんだなぁ・・・』

妬んだりは無いけれど、彼女に比べて、自分はしたい事もハッキリしない、何かを目指しているわけでもないなぁと愕然として、立ち直るのにずいぶん時間が掛かった事を覚えている。
(わたし自身、美大で建築に関することを学んでいたのも、拍車が掛かったように思う)

それから彼女以外にも、他の人の様子が気になってばかりと、自分へいい影響を及ぼせていないと思い、結局入会から1年後に、Facebookは退会しました。

時を経て、今年の夏。
事情があってFacebookを再開することになり(よせばいいのに)ふと、また検索をかけてみたら、なんとCちゃん、建築事務所を退職後、今はニューヨークでジュエリーデザインの仕事をしているそうな。

アップされていた日常写真1枚ごとが華やかで、凄いなぁと関心しつつ、一方の自分を見つめてみたら、海外で力を発揮できるものなんて培えてないなと、暗い方に巻かれてゆくばかり。

その頃は仕事をしていたので、昼休憩の時に、職場の先輩にそのボヤキを聞いてもらっていた。

『そっか~ジュエリーって凄いね!でもアリサさんだって納得した道を進んでいて、いま幸せでしょう?』

そりゃそうです。どれ程に大切な人と、巡り合わせてもらえたか。
分かっていたけど、その大切な内の1人のあなたの言葉に力添えを戴いて、手元にある幸福を、より確実にしたかったんだと思います。

それから数日後。

その先輩から『気持ち、落ち着いた?その、ニューヨークの』と話しかけられて、ポカンと間を置いてしまった。
『え?ニューヨーク?・・・あぁそういやそんなこと、ぼやいてましたね!』

気持ちの落とし所を見つけたからとは言え、数日前の葛藤を失念していたことに我ながら驚き、先輩には、なんとも苦い顔をさせる始末だった。

6年前の時は、あんなに尾を引いていたのになぁ。
『一見変わりないようで、実は進歩している』そんな絶妙さを味わいたいがために、わたしは緩やかに変わることを望んでいたりするのかな。
そうだとしたら、まさに今の悩みや葛藤は、今の自分で了承した分だけを引き受けているのかと思ったら、なんだかおかしくなった。

本当には安定しかない土台の上で、きゃーきゃー言いながら感情を跳ねさせ、騒ぎ、時にタイムラグも取り入れながら、時空間上で存分に遊べる間が、人生なのだなぁ。

だって親切な天使が現れて
『このクッキーを食べたら、人と自分を比べなくなるよ(^^』と、差し出してくれたとしても
『ううん、いい。自分をみじめに思うことがあっても、その中で見たいものが、まだあるみたいだから』と、丁重にお断りするだろうと思うもの。

総括すると、宗教家の人達が口にする
『みんな救われている』の格言は本当めいているなぁと。

そして遠く離れたCちゃんの活躍によって、思いがけないギフトを受け取れました。
ありがとう、どうぞ輝き続けて。

Arisa

優しさまで2万マイル

『小さかった頃に “やさしいEちゃんが好きよ” ってお母さんに言われて、いつも優しい自分でいなくちゃいけないんだ、って思い込んだ』
そんな話を、知人から打ち明けられた事がある。

わが家の場合、そんなプレッシャーは無かったから気楽だったなぁと思った反面、母はわたしを優しい人間とは見つめていない気がして、切なさを覚えてしまった。

* *

ある著名な女性が、交際していた男性に二股を掛けられていたと知って、声を荒げて彼を散々罵ったあとに
『あっちの女のところに行けば!責任取りなよ!こんなに優しいの・・・お釈迦様とわたしぐらいだよ』と言い放った場面の再現映像を観て、とんでもない存在と肩を並べたよこの人と、あらゆる点を押さえて、背筋を凍らせられてしまった。

内省こそ人生、とは言えないけれど、少しでもその心の所作があれば、そんな風に酔ったりできないだろうし、優しさを発揮していた相手が、実はこちら以上に大きい器で、打算も含んだ自分を丸っと受け止めてくれていたと、いずれは気付く事になると思う。

そして優しさの中に厳しさも据えていないと、ただただ緩い、絞まりないものになるけれど、厳しさこそ優しさだと前面に押し出されると、それもまた違うと感じてしまう。

* *

6年ほど前に知人の家で知り合った、少し歳上の女の人は、言葉や芸術で愛を訴えている、立派な思想家と呼べる人だった。
この人物によって、わたしの内面は少しばかり、掻き乱される日々を送る事になる。

その出逢いと時同じくして、当時流行っていたSNSへ入会し、昔の同級生とやり取りを始めたり、好きな雑貨を紹介したりしていた。
そんな軽い感じで留めておけば良かったのに、華やかな日々を過ごしている(ように見えて映る)旧友に比べて、自分は・・・と思えてならない時があって、愚痴みたいなものをその場で吐露してしまう事があった。

それを見かねた思想家のその人から、自分の言葉に責任を持てとたしなめられ、あなたがこれらの発言をしてしまうのは歳のせいかもしれないね、という分析を施された。

大勢の知り合いが見ている場で説教をされたと、恥ずかしさが込み上げてきて、部屋にひとりきりだったけど、顔が真っ赤になっているのが分かった。
言われっぱなしは悔しいから反論して、SNS上で言い争いに発展する始末、だけど向こうのがいくらか饒舌で、言い切りが弱いわたしがどう投げ返したって、敵いはしない気配が立ち込めていた。

だけど、あるターンで唐突に相手がクールダウンして
『あなた、なかなか正直で思慮深いじゃない、そういう所、嫌いじゃないわよ』と返してきたことに、ギョっとさせられた。
一見、大人の対応で折れてくれたように見えて、どこか漂う違和感を払拭できない。

これはもしや
『人の弱い部分に鋭く切り込んで自覚させるけど、あなたのそんなダメさも含めて、わたしの懐で受け止めてあげるよ。こんなわたし素敵でしょ?』というパフォーマンスにまんまと引っ掛かり、丸め込まれたんじゃ、と感づいてしまった。

でもそれを発揮させる舞台を作ってしまったのは、間違いなく自分だから、潔く謝るのが筋と思った。

筋を通した後に『要するにあなたは自信が無いってこと』と、まとめあげられて、本当にその通りだなとは思った。(でもその総括って誰のために?)

そんなで事態は収束したのだけれど、それから自分が取った行動が、更にもうひとつ良くないものだった。

その愛の人が、自分の哲学をSNS上で披露する度に
『やっぱりYさんは真理を見通せているんですね~』なんて大袈裟が過ぎるほどに褒めちぎり、媚び始めた。
そうすれば彼女側も満たされている、そんな手応えもあった。

その肚の内は『凄い人なんだから、内面の恥部を指摘されても仕方が無いよね、注意してもらった事に感謝しなきゃ・・・』なんて、行き場のない悔しさに折り合いを付けるための、自分なりの必死な策だった。
当人が居ない場でも、馬鹿の一つ覚えみたいにその人の話題を出しては、特別な人と肯定ばかりをしていた。

『Yちゃんは、自分は特別だって思われたがってるところもあるんだ』と、共通の友人からこっそり告げられた時も、すっとぼけて、何も分かってもいない風を貫いていた。
本当は、向こうの魂胆は透け見えていたし、欲しいものの見当も付いていたっていうのに。

だけど数ヵ月が経って、SNS上のいさかい合いの終始を見ていた別の友人から
『どうしてあの人、アリサちゃんに対してあんなに上から目線なの?すごく不愉快だった』と言われ、とうとう自分を誤魔化すことが出来なくなった。

『そうだ。わたし本当は、感謝以上にすごく傷付いたんだよな』
目線がどの向きから寄せられたかなんて、本人以外に分かりっこないし、傷付いたことを切に訴えたいわけでもない。事態を招いたのは自分のせいと、うんと踏まえてもいる。
だけど、あんな愛の形、わたしはこれっぽっちも好きじゃない!そして、欲しいと言った覚えも一切ない!

『発言に気を付けよう』よりも『これから何があっても、誰かの弱さを人前で晒すのはよそう』の決心の方が深く刻まれた事実の中にも、本心はばっちり秘められていたっていうのにな。

そして、言葉に詰まって自分の想いを上手く伝えられない人よりも、饒舌で大それた言葉を使う人の方がモノを知っているだなんて、浅すぎる考えだから一切やめよう、“言い負かした” と感じた時点で圧倒的に敗けていて、大切なものから遠ざかってゆく事を、しかと覚えておこうと思った。

それからその人の投稿を目にしては、苛立ちが募るばかりになった。だけど、へりくだっていた間のわたしだって『ここでこう言えば気持ちいいんでしょ?』と、半分彼女を馬鹿にしていたんだと自覚をした。

もし彼女へ報復をしたいなら、従順なフリをして、時間をかけて誉め続け、向こうがこちらを拠り所にするぐらいの関係になったところで、いかにもな理由をつけて
『そんな人だと思わなかった幻滅した』と掌を返せば、結構なダメージを喰らわせられるはずだ。
でもそれは、自分も最大限まで傷付いて、立ち直れなくなるやり方だから、絶対に選んだりはしないけど。

そんな経緯もあって、1年ほど続けたそのSNSを退会することに決めた。その際は一括ではなく、投稿してきた言葉をひとつずつ確認しながら削除をした。

なんて稚拙なんだろう、と感じるものがいくつもあって、あの人の注意によって、後々味わうはずだった恥をすり減らしてもらえたんだ、助けてもらったのも本当の事なのだと痛感した。

そのあと転職なりで交遊関係も変わって、その人と顔を合わす機会もすっかり無くなったのだけど、去年偶然にも再会した時に、こんな感じの人だったなぁと、感情が激しくふれることもなく、淡々と関われている自分がいた。

もし誰かから挑発されて、何かの奪い合いが始まりそうになったとしても、その線上からひょいと降りてしまえば、何てことないわけだ。

そしてかつての分析通り、誰かと比較しがちだったのは、まだまとまりきるには少し早い、年頃のせいもあったのかもしれないなぁと、あの頃を懐かしんだ。

あの人が世界へ愛の革命を起こす、神様の化身だったのかもしれないけど(きっと誰かにとってはそう)
わたしの感受性がそれをすくい上げられなかったのなら、それはそれで、仕方の無い事なのだ。

* *

お付き合いが続いている、学生時代の先生からの手紙に、知性がたっぷり込められたような筆記で
『あなたは本当に、優しい娘さんだと思う』と書かれていた。

なんだか先生に、直接見つめながら言われたみたいで照れてならないし
『そればかりでもないです、効果覿面な報復を思い付いたりします』なんて、いつか自分の別の側面を見せて、落胆させたらどうしようと不安になった。

けれど、その想いをそのまま返事へしたためたとしても
『人間だから、そういう面もあるだろうね。でもわたしが感じたことだって真実には違いないと思う』
そんな言葉を返してくれそうな気がした。

それは『ずっと優しいあなたでいてね、わたしの理想のかたちを保ってね』とは、似ているようで雲泥の差があるし、繊細な話でありながらも、その発言の奥にある魂胆がどちらかを、絶対に皆見抜いていると思う。

優しく振る舞わなきゃ愛されないから、なんて縛りからではなく、好きと思う自分といたいから、なるべく人に優しくありたい。わたしに小さな希望を見いだしてくれてありがとう、と伝えたくなった。

貰った言葉を、自分の身へ染み渡るほどに傍に置くのもしっくり来なかったので、ちょっとした棚みたいなところに飾っておくことにした。
それを時々見つめに来て、照れたり、恥ずかしくなったり、少し誇れたり、心の差異でその時の自分を測ってゆく。

今日は何だか、とても手の届かない言葉に思えるのよ。
もうちょっと、笑顔をこぼせたら良かったのになぁ。
遠い、遠いなぁ・・・

Arisa

さよなら夢子ちゃん

こんなことを書いたら、精神に支障があるとか、現実に弱すぎるとか思われても仕方がないだろうけど、自分にとってのリアリティが確かにそこに存在していたから、きちんと残す作業をしておこうと思う。

小さい頃から、そうとは悟られないよう平静を装ってきたけれど、男兄弟がいなかったことも拍車を掛けて、わたしは男の人に人一倍興味があったし、憧れだって、相当に強かったんじゃないだろうか。

テレビや漫画に登場する、わかりやすい格好よさを振りまく男性を見ては
『わたしもいずれ、こんな素敵な人と結ばれるはず』なんて自分へ言い聞かせたり、実際に好意を抱いた人が現れたらばあれこれ想像して、ときめきの地産地消みたいなことを繰り返してばかりいた。
現実では全く何も、動かそうとはしなかったのに。

ただ、皆が羨ましがる相手と一緒になりたかったのは、志が高いわけではなく、色んな人を見返したい、そんな邪な気持ちも大いにあったなぁと、今さらにわかる。
自分の内側の光を信じることが出来なかったから、ワット数の高い電球みたいな目立つ人が隣にきて、上からわたしを照してくれたらいいのに、なんて、まったく他力本願で頼りない話だ。

そんな幻想に散々付き合わされたのが、夢子ちゃんだ。
わたしが広大な幻想の海を泳ぎ始めた頃には、もう傍にいてくれて、こちらがちびまる子ちゃんなら、あちらはまるで親友たまちゃん、みたいな間柄だった。

絵空事を、うっとりしながら語り並べても
『はいはい、またいつものね』と少しだけ呆れながらも、嫌味などなく、とことん話に耳を傾けてくれる貴重な友人だった。数えきれないほど、彼女にすくわれていたように思う。

* *

そうして月日は経って、過去の熱心なアフォメーションの甲斐などなく、この秋にわたしが結婚することになったのは、いたって純朴で、すれ違いざまに皆が振り返るような・・・とはちょっと言い難い、ごくごく平凡な、心根のよい男性だった。
(もちろんこの成りゆきに、心底納得してはいます)

彼と初めて会った日の翌日、また会いたい気持ちが通い合って、最初に電話をした時に
『また会いたいって思ってくれて、本当に嬉しいです。これから、電話もたくさんできたらいいですね』と彼が言ってくれたことに、照れつつも、こちらだって嬉しさをひしひし感じていた。

けれど電話を切ってすぐに、嬉しさ所以ではない涙が、ぽろぽろと溢れ出して、止まらなくなった。
わたしの選択1つで、一喜一憂する人が突然現れたことや、かつてない速さで人生が展開されてゆくことへの戸惑いかなと思ったけれど、戸惑いの向こう側に、別の寂しさが騒いでいるのが見えた。

もう、幼いあの日みたく、自分の資質や前後の流れを無視して
『誰と結ばれるのかなー』なんて、無邪気に未来図を思い浮かべる機会は失われるんだ。
自分の中の、まるで砂糖の塊みたいな幼児性の残り分が、みるみる溶け出してゆくようだった。

あれほどに自分を浮かばせて、自由に存分に泳ぎまわっていた空想の海は、わたしの中に現実の領域が増えてゆくにつれ、存在感を薄めてゆき、いつしか直径1メートルにも満たないほどの、水溜まりぐらいにまで狭まっていた。

それは、わたしが現実の世界でちゃんと営みを送れている証であったし、“羨ましがられたい気持ち” を真ん中に据えて生きていたって、 空しいばかりだということも、とっくに知り得ていた。
それでも幼い頃から慣れ親しんだ、自分の海との決別に、切なさは込み上げてくる一方で。

これっぽっちの深さもない足元の水溜まりが、わたしと夢子ちゃんを繋いでくれていたけど、もうすぐに渇ききって、跡形なく消えてしまう。彼女ともお別れなんだ。

しばらく会っていなかった彼女が、いま、傍にいることに気付いたから、勢いよく抱きついて、別れを惜しみながらおいおいと泣いた。彼女は何も言葉を発しなかった。

小さい頃は、ふたりして同じような背丈をしていたっていうのに、時間の流れに巻かれて大人びてゆくのはわたしだけで、もう片方は、小さな女の子の姿のままだった。

散々わたしの妄想に付き添ってくれた夢子ちゃん、彼女そのものもまた、実在の人物ではなかった。

現実世界に友人はいたけれど、甘ったるい自己都合だけで作られた話に合わせ続けられる人なんて、そうそういないことの分別ぐらい、ちゃんとついていた。

だから妄想のプロみたいなわたしは、“妄想話を繰り広げられる居場所” すらも妄想の枠内で済ませるようにした。
そうして二重構造にすることで、自分の世界を守った。

ただ、自分次第でどうとでも出来てしまう、空想の産物の彼女の外見に齢を重ねさせなかったのは、一緒にいるのが相応しいのは子供時代だけに限定されていて、いつまでだって続けられるわけじゃないことに、無意識ながらも、人間としての大事な部分で、やっぱり理解していたからに思う。

やがて大人の時期になったら、自分以外にも守りたいものがたくさん出来てしまっているけれど、それらは決して人を窮屈にさせるものではなくて、制限を感じることがあっても、その分しっかり幸せも引っ付いてくれている。
人はその確信を、ちゃんと携えて生まれきているに違いないのだ。

『だから、ようやく会えたその人を、ちゃんと見つめ続けて。行く先で辛さに見舞われて、八方塞がりになったとしても、自分を甘やかすために海に潜っちゃダメ。そんな逃げ方を決してしちゃいけない。だからもうこの海は、ここで閉ざしてしまわなきゃ』
彼女とわたし、どちらが発したのか分からなかったけれど、真実の言葉がふたりの元へ降ってきたようだった。

『これからは、ずっと奥から見守っているから』
これは彼女の方の言葉なんだと、すぐに認識できた。
夢子ちゃんに体なんて無いはずなのに、泣いているわたしの髪をそうっと丁寧になでて、次に背中をさすってくれているような気がした。

彼女の顔をのぞいたら、寂しそうというよりも、ようやくお役御免だな、と言いたげな柔らかな表情、ずっと雲に隠れていた太陽がもうあと少しで滲み出てきそうな、そんな空模様の予感が詰め込まれているように映った。

自分の中から彼女を作り出して、過酷な少女期の手助けをしてもらって、また元の場所へ還しただけ、ただの、一人芝居。
だけどわたしは確かにひとつ、命を取り出して、時間をかけ育んでいた。それは、例え自分の分身、空想であっても、決して蔑ろにしてはならないのだ。
自分へ納め返すその時が来るまで、かならず。

* *

一晩明けて朝になったら、昨日の切なさなんて一切なく
『31歳になるまで付き添ってくれてたんだな、いやあ長い、充分すぎる』と、冷静になった頭で、そんな風に考えていた。

それにしても、昨晩の時点では、彼とはまた会う約束をしただけで、縁談話がまとまるのは、少し先の話だ。
後からなら何とでも言えてしまうけれど、彼と上手く運ばれてゆく、そんな勘が働いていたんだと思う。

彼との電話の最中、新しい、太い道を歩き出すような感覚を感じていた。
そこは見晴らしがよく、難が訪れても比較的備えやすそう。もちろん哀しいことが、いきなり横から飛び出してくることだってあるだろう。だけど、それすらも含んで安定していると言えてしまうような道。
『いつでもそこから外れる自由はあるけれど、それる理由も特に無いんじゃない?』と、囁く誰かの声だって聴こえてきたような。

それからまた数日が経って、不思議なことが起きた。
わたしは人は外見が何より大切、という思い込みが強烈で、それをひっくり返してくれそうな概念を耳に入れて、どうにか上書きしようと試みていたけれど、なかなかそれは叶わずに、自分を浅はかに感じられてならなかった。

だけど、ふとある映像を目にして(それまでにも似たものは何度となく観ていたのに)外見の美醜だけで人の価値は測れないことに、ようやく心底頷くことが出来たのだ。

永年の呪いが解けたことと、自分に掛けていた魔法を溶いたことに、関連性がないなんて思えない。
心って複雑に絡み合っているけれど、1ヶ所を紐解くことで、あっけなく他の場所も融解されちゃうのだから、反面すごく単純だとも言えてしまうかも。

隣にいる彼へ、どうしてわたしまで辿り着いたの?と、問いてみたくなる時がある。
あなたが心細くなったなら、髪をなでて、背中をさすってあげたい。そのために、血の通った自分の身体があると思えるの。

甘味は強くはない、だけど温かさが確かにある、ここがわたしの道、新しい海域。わたしはここを、泳ぎきろうと思う。

夢子ちゃん見ていて、と呟いたら、少しばかり血潮が疼き騒いだ気がして、これは彼女が呼応しているサインなんだと、そう思えてならなかった。

Arisa

あふれだす望郷

人生において大切なことは何か、を突きつめてゆくと
“自分のことを好きになること” そして
“自分の幸せのあり方を追求してゆくこと” の、たった2つにまで絞られるそうな。

幸せのあり方の格言の方は、言語化までうまく運べずにいたわたしのもどかしさを、見事なまでに昇華してくれたように思う。

わたしは自分の輪郭が、悪い方の意味でボケていた時期が長かったため、その様子を見て心配になった人から薦められたものを
『いや違う、絶対に合っていない』と、ちゃんと感じていながらも、取り入れることを渋々繰り返していた。

そうして結局は、時間もお金も労力も、そして何より自身への信頼を損なっていって、ひとりになった時に思い出しては悔しがったり、悲しんでばかりだった。

『自分の違和感が少しでも光った時は、その光を無いことにするのはよそう、それで誰かの善意を受け取れなかったとしたって、それは仕方のないこと』と決め込んでからは、少しずつ断る力を身につけてこれたとは思う。

NOと宣言した際には、相手が落ち込んでいるように映って見えてならなくて、その度に胃に切り傷がつくように感じたりもした。
(内実は、総てわたしの中で起きている葛藤でしかないよな、と分かってはいたけれど。)

けれど断ったところで、何も問題は起きないし、大丈夫なんだと、ずいぶん世界を信じられるようにはなったけど、もしこの先誰かから、その人が信じている幸せのかたちをつき出され、わたしの人生へ強引にねじ込もうとしてきた折には、さっきの格言を以て上手く回避しようと思う。
うん、しめたぞ。

『わたしはわたしの幸せの追求をしますから、あなたはあなたのために幸せを追求して下さい』

とは言え、真実を帯びている強力な言葉を、相手を屈させるためだけに使ってはならないとも思う。
言い返せない分そんなことをしてしまえば、大きな怨念となりかねない恨みの芽を、相手の中に根付かせてしまうことになるだろうから。

それだけの言葉を発する時には、自分と相手、双方の人生への祝福を乗せなければならないはずで、きっとそれが人の品の良さとしても表れてくるのだと思う。

* *

以前の勤め先にいた頃、顧問税理士の先生が主催する懇親会に、1度だけ参加したことがあった。

建設業を営む社長さんが隣の席にいて、わたしへ話し掛けてきてくれたのだけど、これまでに参加してきた豪勢なパーティのことばかりを話題にされて、心底関心を抱けなかったことがある。

『○○の著名な人が来たりしてね、会場になったゲストハウスは浜崎あゆみさんも使ったことがあって・・・』と、若い世代の女の子が興味を持てそうなことを織り混ぜながら話してくれているのに、心は微動だにせずしらける一方だった。

その心境はそのまま顔に表れていたようで、社長さんから、なんかごめんね・・・と謝られる始末、しまった!と、さすがに少し申し訳なくなった。

それから数ヵ月後に、知り合いの家に遊びに行った時のことだ。

リビングのテーブルの上を見たら、その家主も参加しているビジネスで成功した100人、いわゆるセレブ達を特集した雑誌が置かれていた。

『こういう本を見て、憧れちゃうなあ、と思うお金持ちの人を見本にして同じように振る舞えば、自分もその人みたくなれるんだよ』と、享受された知恵に、一理あるなあと納得しつつも、その雑誌に少しも手が伸びなかったことを覚えている。
(そのビジネスに関心がなかったこともあるけど)

セレブの日常を収めたDVDなんてのも用意されていて、それを映したテレビ画面へ釘付けになっている人を横目に
『こんなに家が広かったら掃除が大変じゃない。いや、お手伝いさんを雇えばいいのか。でも家事掃除は自分でしたいかな』

そんな感想を見つめながら、人が究極的に目指す場所は同じとしても、道中見たい景色はそれぞれ全然違うものなんだ、一緒くたにしちゃならないな、なんてことを考えていた。
画面の中の人をもう一度観たら、今度は波乗りサーフィンをしていた。

* *

『あなたにとって幸せの形って?』と尋ねられた時には、ある景色のなかで暮らす自分の様子を伝えることにしている。

厳しさだけでなく、おおらかさも感じる森の中、湖の傍にある一軒家でわたしは暮らしている。
家の中には生活用具が一通り揃っていて、窓辺には可愛らしい小物なんかも飾られている。

そこで自然に即した暮らしを送りながら、友人たちや、はたまた初対面の人を住みかに招き入れ、簡単な飲み物を振る舞って、お互いが最近や過去に味わったこと、そこから見いだした世界の秘密みたいなものを、こっそりと確認しあっていたりして。

時には、後悔していることや恥ずかしかったこと、今でも後ろめたさでいっぱいなこと。
そういう小声でも話しずらい事を打ち明けても、聞いた方は驚きもせずに、大洋のような眼差しで相手を見つめながら、ただ、うんと頷いている。

同時刻に、たとえば街でパーティがひらかれていたとして
『自分達は呼ばれなかったはみ出し者』とひねくれたりなんかせず
『もっと大切な事があるのに』と、何かを蔑むことで、自分達の価値観の方が優れているだなんて思い上がることもせずに、ただきらびやかさが違っているだけ、ときちんと分かっている。
こんな景色を、幼い頃からずっと思い続けている。

そこにいる私はやはり女の人だけど、幼女にも見えれば、老婆になって現れる時もあるから、普遍的な話をするのにきっと年齢なんて関係無いのだ。

そんな森に直接行った覚えはないから、昔読んだ絵本の刷り込みかなと思う半面、もう身体を持っていない誰かの記憶かもしれないな、なんて勘ぐることもあった。
『あの場所へ帰りたい』と切望することが、幾度となくあったから。

自分の一部があの森の中で育ったことも手伝って、お金がないなら質素に暮らせばいいじゃない、な価値観は、わたしの細胞へばっちり染み込んでいる。

それで得られた素敵なことは多々あったから、これからも大切にし続けるけれど、たくさんのお金を動かす事だって、やっぱり今の日本においては大事な価値観に違いないわけで。

そもそも、森のあの暮らしを実現しようと思ったら、ある程度のお金は絶対に必要なのだ。

のんびり寛いでばかりの様子を思い描いてばかりで
(古典的な労働の例えでなんですが)薪を割るとか、畑で野菜を育てるとか、労働についての事をいっさい排除してきたなぁと思う。

そして、稼ぐことを後回しにしてきたツケは、いま現実世界で返ってきていて・・・あぁ刺さるよ!

* *

あの景色のままに、こちらの世界で暮らすのはまだうんと難しいけれど、現実へあの景色が流れ込んできた!と感じたことは何度も経験してきた。

大学時代にアルバイトしていた和菓子屋は、なんだか垢抜けきれないけど、年中並んでいる定番商品も、季節ごとに変わる生菓子もすべてが美味しくて、地元の人から親われているそのお店のことが、わたしは無性に好きだった。

ある日、一人きりで店番中、お客さんも誰もいなかった時に、陳列していたお菓子ひとつずつから
『あなたのことが好きだよ』と、ささやかれている気がしてならない事があった。

『うん、わたしも好き』と心の内で返答したら、誰かと心が通じ合った時のように、わたしの中が嬉しさで満ちていって、次第にそれらは体から滲み出て、お店の壁や天井へ届くほどに拡がっていき、今度はわたしを包み返してくれているような幸福感を覚えていた。
次に入ってくるお客さんには、最高の接客が出来るな、と確信しながらも。

もちろんわたしには、モノの気持ちがわかる特殊能力なんて持ってはいないので、そんな経験をしたのは菓子屋に勤めた5年の日々で、その1日限りのことだったけど、ここへ仕事に来て本当によかった、そう思うには充分すぎる経験だった。
(でもこれが菓子ではなく、植物や動物や鉱物とかのジャンルだったら格好がつくのに)

そして、また別の場面において。
地元の街を歩いていた時に、なにか特別だったり、素晴らしいものを見聞きしたわけじゃないのに、わたしの深奥の部分が、きらきら光っていることに唐突に気付かされた。

光はオレンジ色をしていて、綺麗な夕日の色だなぁとしみじみ感じていたら、次は黄色、やがて青になったりと、ゆっくり色彩階調が変化してゆくのが分かって。

外のわたしを飾り立てるために必死に何かを揃えようとしなくても、色とりどりの宝石があなたの中にあるよ、と言われているようで、自分がすごく完全なものに思えてならなかった。

手にぶら下げていた、コンビニで買った菓子を見て
『これは本当には必要ないものだ』と心底思えたことが、ストレスを食事で発散していた身には、なかなか衝撃的だった。

わたしが私の真ん中を生きていて、次の瞬間にどう振る舞うのかが、頭ではないところで分かる。
型は決まっているのに、窮屈どころか、ずっとずっと自由で、わたしの所作から無限さが拡がってゆくようだ。
自分が鮮烈に立ち上がってくるけれど、独りよがりではなくて、周りとちゃんと調和している。

この宝石の光の中だけから言葉を取り出していけたら、生涯誰といさかい合うこともなく、わたしを見掛けた人は、躊躇なく声を掛けてくれるような世界へ行けるだろうな。

そうだ、わたしが欲しいのは、本当には小屋でも自由な時間でもなく、これそのものなんだ。
あの望郷に満ちている素敵なものは、いつだってわたし次第で、こちらの世界に呼び寄せることが可能に違いないのだ。

けれど、最近はどんどん望郷から遠ざかっている気がしてならなくて。望郷を懐かしむ自分のことすらを、懐かしいな、とさえ思っていて。

また触れてみたいな、わたしを潤わせてあげたいな、という想いから、文章にしてみた次第です。

Arisa

運命に花丸

高校時代を一緒に過ごした友人達は、本当に個性の際立った人ばかりで賑やかしかったけれど、その内のひとりが学内の男子にひとめぼれをしたことで、学校生活は一層に騒がしさを増したよなあと思う。

恋に落ちた彼女は事あるごとに
『今までと違う、運命だと思う』と目を潤ませながら、この恋がいかに特別なのかということを、私たちへ熱く演説していた。

極端な言葉を以ていた割には、彼女から初めて声を掛けた際の彼は、少しも関心がなさそうに彼女をかわし、そのかわし方も紳士な振る舞いとは言えず、相手からどう想われたって構いやしない、終始そんな態度だった。

照れているわけでもなさそうだし、男女のことに疎いわたしでも気付く、そのふてぶてしさは大丈夫なのか?と、少し離れた物陰から前途の多難さを感じていた。

それでも彼女はめげずに、数ヵ月後、周囲の力添えもあって彼の連絡先を手に入れた時は、求婚されたのかと見紛うほどの有頂天ぶり、比喩ではなく本当に学校の廊下で飛び跳ねていた。
はしゃぐ彼女を見て、その様子通りここが頂で、望んでもいない下山が間もなく始まるんじゃないの、と不安は募るばかりだった。

『何でそんなに後ろ向きなの、友達なら行く末を信じて応援してあげれば』と、突っ込まれそうな考えばかり過らせていたけれど、成就してくれたら何よりとも願っていたはずだ。

でももしや、自分は彼女に対して非協力的だったのかもしれないな、と思えてしまう出来事がひとつある。

午前の授業が終わり、意中の彼が友人らと学外へ繰り出すのを見て、獲物を定めた肉食動物みたいな眼光をした彼女から
『付いてきて!』と腕を引っ張られ、彼御一行の後を付けた事があった。

絶対に目を離さないように、でも後を付けているとは悟られないほどには距離を保って、偶然を装って同じお店へ入るべし!魂胆はそんなところだ。

けれど人混みにまみれて一行を見失ってしまい、たちまち彼女が慌てだした。
『ここで見失ったから、まだ近くにいるはず!学生が入れそうな定食屋はここしかないよな~あぁでも曇りガラスで、お店の様子が見えないよ!』
そう言ってうろたえる彼女を、まったく他人事として傍観していた覚えがある。

それからしばし考え込んでいたようだけど、チャンスがあるのなら、絶対に逃したくはないわけで
『ありちゃんお願い、一生のお願い!一緒にお店入って!わたしの恋を応援して!』と、手を合わせて必死に懇願してくるも、わたしときたら

『え、やだよ、わたしお弁当持ってるもん。それに本当にこのお店へ入ったのか、分からないじゃん』と、何の躊躇も挟まずにお断りをした。

今生の願いを、そんなきっぱり取り下げられると思っていなかった友人は、ひきつった顔で、合わせた手のしまい方が分からずに戸惑っていた。
それからお店を物欲しそうに眺めていたけど、ひとりで入るのは忍びないようで、帰ろうよ、と私から声を掛けて、来た道を戻ることになった。

足早に歩くわたしの側に彼女がいないことに気付いて、後ろを振り返ると、お店の方を気にしながら、牛でも引いているのかのようにゆっくりと歩く姿が見えた。
『後ろ髪を引いてほしい、と望んでいる間は叶わないんだよね・・・』

互いの譲れがたさから歩調は揃わなかったけど、それでもふたり一緒に学校へ戻った。

(自己弁護になりますが)頼まれ事を断った時には、無駄に心を乱す私があんなにも無下に断るだなんて。
その日のお弁当に、よっぽどの好物でも入っていたのではないかなぁ。

* *

そんな風に、音を立てない片想いでもなかったのに、状況は一向に変わらず、ついには
『夢に彼が2度目の登場を果たした、だから運命』とまで言い出し始めた。

『それならわたしは50人くらい運命の人いる、うわぁ選び放題』と、余計なことを口走りそうになりつつ、簡単に吹き消されてしまいそうな、自分だけのジンクスにすがりたい気持ちもこそばい程に理解できたから、それを見守る力に変えようと思った。
他の皆も、同じ気持ちに違いなかった。

女の肚には、小さな自分の分身が住んでいて、その小さな彼女達は絶えずテレパシーで通じ合っているから、本当には何も隠し合えず、潔い関係にしかなれないと思う。

だから彼女も本当のところでは、彼と未来を築いていくのは難しいこと、そのことを皆わかっている上で口にしていないことまで、総て見通せていたはずなのだ。
意識の上でだけ切り分けて、見えないところを作って、切ない顔を誰かへ映して、ただ私たちは遊んでいるだけかもしれない。

それでも外側にいる彼女は、自分を奮い立たせてくれるだけの言葉をまだ欲していた。

身近にいる私たちには、もうそれは差し出せなくなっていたから、貰えそうな人へ繋がるためだけに、知り合いを手当たり次第に増やしているような時期さえあった。
数千円が大金の年頃でよかった気がする。そうでなきゃ、占い師の元を渡り歩いていたんじゃないかな、と思えるもの。

それからしばらく経ったあくる日の夜、唐突に彼女から電話が掛かってきたことがあった。
いつもより、ずいぶん低い調子の彼女の声が気になりながらも、バイトや課題のことなど、他愛ない話を延々と交わし合っていた。

『・・・これからは大切なことほど、本当に親しい人にだけ話すようにする』
電話の切り際になって、一層低い声で発した彼女の言葉を聞いて、なにか悔しい思いをしたんだろうな、と感じ取った。
『けれどそれは、自分が蒔いた種のせいなんだ』と自覚していることも声色に滲んでいたから、追求はせずに、そっか、と一言だけ返答した。

当時は今以上に格好つけで、人から見えない心の領域ですら品行方正であらねば、と課していたわたしからすれば(がさつなことはバレバレだっていうのに)
形振り構わない彼女の行動に、呆れだけではなく、羨ましさがあったことも本心だった。

そしてやはりと言うか、焦がれた彼と恋人関係になることはなかったけれど、ドラマって思いがけない方角から降ってくるんだな!と思わせられたのは
“彼を熱心に追いかけていた彼女”に一目惚れした同級生が現れたことだ。

その同級生が彼女へ執心して、追いかけ回すのを見て
『えっ因果応報?』と、当初は少し冷やかに見つめていたけれど、長期間の猛烈なアタックを受けて、彼女は彼の気持ちを快諾し、いまその二人は夫婦になっている。

日常の選択の結果が運命になっていくだけであって、後になってから好みの場所を切りとって、額に入れて、大げさな名称で呼び指しているだけだ。

でも、もしも運命に表裏があるとしたら、彼女の片想いの数ヵ月は、裏側と呼ぶ方が相応しいのかもしれないなと思う。

彼女ほどの行動力はなかったものの(彼女を盾にしているみたい)わたしも他の友人達も同じように、実りなさそうな恋へかまけていた時期がある。
こんなに情熱を抱かせられた相手なら、運命に違いないからなんて、力技だけで事を運ばせようとしていた。

ただ、運命という言葉を軽々しく扱っていた事は、幼かったんだと片付けられるものではなくて、切実に希望を求めていたからなんだと思う。

実はみんな、怒ったら何をしでかすか分からない母親に脅えたり、弟ばかり可愛がって自分には目もくれない父親に寂しさを募らせていたり、一見は信頼の形をとっているようで放任主義の親元にいたりと、それぞれに夜を過ごす場所では、心細い思いをしてばかりだった。

もうすぐ選択肢が増えることにそわそわしつつも、大人になったからといって、劇的に自由や力が手に入るわけではないことも知ってしまっていて、抱えている心許なさすべてを、やりくりできるはずなんて無かった。

『だからこの境遇と同じくらいのさだめで、うんと幸運も舞い降りてくれるはず。きっと彼がそれそのものなんだ。あの人が手を引いてくれたら、まぁ帳尻も合うから許してやるか!だってそうじゃなきゃ、不公平だ』

なんて尊大な態度なんだろう。
でも、人生に拗ねて、世界や誰かを恨みっぱなしよりかは、まだずっと救いがあるように感じられるのだ。

* *

皆で教室の机を合わせて、はしゃいでばかりいたあの頃に意識を飛ばして、賑やかしい輪っかを上から見下ろせば、なんだか笑みが自然とこぼれてくる。

もしも彼女達へ直接語りかけることが出来たとしても、何も訴えたりはしない、もう充分なほど懸命に生きているのだから。

その代わりになんだか、祝福の意味を込めて頭上へお花を降らせてあげたくなった。
大ぶりなお花よりも、小ぶりなものをたくさん散らす方がいいな!と閃いて、それはどうしてだろうと閃きの奥を覗きに行ったらば、彼女達の内側にある空洞にお花がうまく入り込んで、たった一晩だけだとしても心細さが和らいでくれたらな、そんな祈りに寄せたものだと気が付かされて。

もうこんなにも時間は経っていて、運命なんてなくても大丈夫、そう言える自分を迎えた今になって
『あなたの青春時代は花丸に違いないですよ』
まるで思い出から、そう語り返してもらえたような気がした。

Arisa

死神さんといっしょ

わたしの文章を読んでくれた人から
『思考の力が強いんだね』と言われ、その見解はおおよそ当たっているよなぁと頷きつつも、それのみの力業とするには腑に落ちきらなかったので、自分の内側をじっくり内省してみたけれど、やっぱりわたしの言葉を汲み上げどころは、死の世界からなのだと思う。

要因についてはここで探求しないけれど、わたしは幼少の頃から自分の背後に死が直立して、離れてくれないことに気が付いていた。

誰に打ち明けたわけでもないのに、どうしてそれを死と認識したのかは分からないけれど、幼い子供のそばに居るには相応しくなく、あってはならない存在だということは、世の中の雰囲気から察することができた。

だからこの驚異を言葉にしてしまったら、わたしを見つめてニコニコしている大人達を困惑させてしまいそうだったし、上手に伝えられる自信も無かったので、口を固く詰むんで、直接的には何も訴えずに、自分の体や心のスペースの中に隠し込むようになっていった。
本当は恐くて恐くて、たまらなかったけど。

そんな秘密をわたしが抱えているとは露知らず、いつからか周囲の大人達が、物質的ではない世界や力についてのことを話題にする場面が、少しずつ増えていった。

今ではずいぶんと認知されつつあるけれど、まだまだ怪しまれてばかりの時代に、オカルト的な概念を抵抗なく、するりとわたしが受け入れられたのは、子供ならではの柔軟さと言うよりも、文字通り、背景の存在によるところが大きかったんだと思う。

死後の世界はうんと離れた場所になんかない。
隣り合わせどころか、こちらの世界と綿密に絡み合って、行ったり来たりじゃないか、と感じるようにさえなっていった。

大切な人を亡くした時にも、こちら側から少し見えずらい風貌となってしまっただけで、呼べばすぐ近くにまで現れていると思えてならないのは、17歳で決別するまでの十数年を、死神と過ごした恩恵と言える側面もあるのだと思う。

とは言え、いま小さな子供の傍らに死神の姿を目撃したなら、その子に悟られないようにこっそりと死神に耳打ちをして
『何を差し出せば立ち去ってくれる?』そう尋ねて、あらゆる手段を投じてでも、両者を引き離そうと躍起になると思う。

少しの安らぎがもたらされる間もなく、神経を磨耗させられる経験が、たとえ名声や大金を享受できるほどの大きな才能に化けたり、後世の誰かの励みとなる確約があったとしても、あんなのに付きまとわれずに済むのなら、それに越したことはないのだから。絶対に。

中流家庭に生まれ出て、取り立てるほどに秀でても劣りもしていないわたしの平凡さの中に、生の器の中で、死に囲い込まれ、その状況から必死に生の手ごたえをかき集めていた、複雑な入れ子のような子供時代だけに、数奇さが際立ってしまっている気がする。

今もって変わり者扱いされたり、どこか浮世離れした態度を取ってしまいがちなのも、きっとその数奇さ由縁によるだけだ。

そして、当時まったく自覚が無かったけれど、口を閉ざしていた分だけ、心の中で自分の言葉の水脈を、奥に奥に潜り込むように、ずんずんと引き続けていたのだ。
その水脈は今もたえず、わたしの中を巡り続けている。

あの頃と違うのは、そこから言葉を汲み上げて、自由に並べ整えあげて、光ある場所へ晒すことが出来るということ。
そうやって、子供の時に感じていた虚無感や絶望を、大人になってから、少しずつ世界へ放っているのだと思う。

* *

『亡くなった人のパーツは、目視できないほどの小さな原子となって土へと還り、そこに生えている樹の一部へと姿を変えているかもしれない。さもすれば、その人はまた別の命として生きているわけであって、死は哀しいことばかりとは言い切れない』

造形大学時代の恩師の一人が、わたしを含めてたった三人しかいなかった授業中、いつも通りの、淡々とした口調で語らしめていた死生観の一節だ。

かつて死に損なったわけでも、自死願望が強いわけでもなさそうなのに、世界の境目の瀬戸際の手前の手前くらいの位置から、向こう側を望郷や本番みたいにして眺めている先生を、また少し離れた場所から見つめているのがわたしだった。

死の話題がふっと湧いてくる時には今も、先生が傍を横切っている気がしてならなくなる。

『わたしも先生と出逢うずっと前から、同じようなことを考えていたんですよ』
あの時手をあげて、そう発言する機会はいくらでもあったけれど、なんだかそれをしてしまったら、でしゃばりで邪な気がしたから、もう慣れっこみたいな素振りで、またひとり沈黙を保っていた。

呑まれそうなくらいに巨な死の概念を、自分のなかで目一杯に砕いて微小なサイズまで分解して、こちらの世界に埋め込んで繋ぎ目を見出だそうとした、先生の心象の旅を思い浮かべると、行き着いた思想が似ていたとしたって、その中で目撃した一面ずつの景色は、その人だけのものでしか有り得ないと思えたから。

それにいちいち
『感性がおそろいだね、やっぱりそうだよね』と確認し合って頑丈にしなければならないほど、互いの思想は精度や密度の足りていない、弱々しいものでもないだろうから。
(確かめ合うことは、時に勇気になるけれど。)

言葉を飲み込んだけれど、喉元がつっかえた覚えなんて一切なくて、胸元には穏やかさが充満してゆくように感じていた。一緒にいた他のふたりは、何を思ったり、感じたりしていたんだろう。

それからしばらく経って、その先生が歴代の卒業生達の作品を、新入生へ講評する授業があった。
ある作品がスライドに写し出されて、この模型の作者は自分で命を絶ったんだ、と説明を添えながら紹介する一面があった。

その様子を見て
『そんな事情なんて話す必要ないのにね。先生、冷たいよ』と噂する人もいたけれど、温度のない話なんかじゃないと思えてならなかった。

『先生の優しさは分かりづらいだけで、本当には心根のいい人。それを感じ取れる感性が私にはあるの』なんて、言いたいわけじゃない。

ただ、その人が遺した作品に、その人の生き様を吹き込むことで、たとえ一時だとしても、作品に肉をつけ、血を吹き込もうとしているように見えてならなかった。
実際のところは分からない、分からなくて良いけれど、作品と作者への敬意を、どこかへ置き去りにする人なんかじゃないはずだから。

気が合うことをお互い感じ取っていた先生とわたしは、双方の立ち位置から見えたものを、話し合うことも度々あった。
意図していたわけではないけれど、そういう時には、他の人を寄せ付けない雰囲気を、醸し出していた気がする。

『そんな端まで寄ったりせずに、見通せない世界のことは後回しにして、もっと生の真ん中ではしゃげばいいじゃない』

私たちを見て、そう感じるまっとうな人もいただろうけど、まるで最初から決まっていたように、そこを定位置にされた人間が何かの "重し" になって、世界を支えている可能性もあるかも、なんて風にも思えたりする。

ただ、傍にあることも事実だけれど、"あちら" なんて軽々しく指差せないほどの離れた場所にあることだって、同じ次元で真実そのものには違いなくて。
並列して走る二つの距離の狭間に生かされているからこそ、きっと心を縦横無尽に漂わせることも、どこか1ヶ所に留めておくことも、私たちに許されているのだと思う。

そして死後の世界にお門違いな期待を寄せすぎたり、肝心なことを丸投げしてしまったら、こちらの世界から煌めきがこぼれ落ちて、自分自身のことを掴めなくなっていってしまうから、気を付けねば。
おおらかなことと大雑把なことは、似ているようで、全く違う世界の包み方であるのだろうから。

現実の世界でわたしの傍にいて、見守ってくれる人が、見事なまでの素早さで、この春に入れ替わっていった。
天の采配かは知らないけれど、わたしに必要以上の寂しさを与えないために、大きな力がうごめいた気がした。

一度きりしかないわたしへ、もっと誰かの一度きりを重ねて、 "もう触れない" という手触りをもたらしたい。
そちら側の感性だって、しっかり磨いていきたいと、静かに決意を改める。

生の季節が、わたしへ巡らされてきた。

Arisa

言葉と透みきった泉と

先日、まったく音沙汰なんてなかった人から、唐突に一通のメールが届いた。

あらどうしたのだろう、と内容を確認してみたらば
“ 近々開催されるイベントがあって、それがすごくおすすめだから、大好きなあなたと参加したいです ” と書かれていた。

『わたしを!選んで声をかけてくれたんだ!』と、冬の寒さで眠りこけそうだった心は跳ね起きて、指をいちいち弾ませながら詳細を尋ねるメールを送ったら、しばらく時間があいたのちに返事が戻ってきた。

そこにはそのイベントがいかに有意義で、貴重で、素晴らしい機会なのかということがつらつらと、ふたたび大好きという言葉を織り交ぜながら述べられていた。
すこし、妙な隙も感じさせながら。

なにか、おかしい。小気味がよくない。
膨らみきっていた嬉々とした気持ちが、勢いをもって萎んでゆくのが分かった。

単語ひとつずつをまじまじと見つめても、後ろ向きな印象を指すものなんてどこにも見当たらないし、この調子でメールがあと100頁続いたとしたって、誰かを蔑んだり、陥れたりするような内容へ到達することも、きっとない。
それでも文面全体に、薄暗いモヤみたいなものが覆られているように感じられてしまう。

『そんなはずないけどなー。だって、あの人とやり取りを交わせた時間はそう長くはなかったけれど、共有し合えた言葉や世界は本当にきれいで、心へ染み渡って元気をくれたもの。
あの場面の延長にあるこのメールにだって、同じだけの明度が保たれているはず。わたしの目に光と力が足りていないだけ』

そう言い聞かせて、文面を見つめてみるものの、言葉の細部と全体が調和する気配もなく、好き勝手に振る舞っているようで、針の穴ほどの光も拾えずじまい。

少し疑いの気持ちを抱いた途端に、相手がわたしの肩越しに、誰かを見つめていることに気が付いた。
『この人が本当に心から好きなのはわたしじゃない、イベントの主催者だ』

焦点は好きな人にしっかりと合わせたまま、その視界の範疇に、わたしや、わたしと同じような関わり方をした他の何十人もを後から配置しただけだ。
向けられた “ 好き ”の気持ちは、本命の人へ向けた分のおこぼれでもあるんだ。何を浮かれていたんだろう。

大切な人のために、自分が持っているものを駆使して奔走する。
その二人を中心にして眺めれば、紛れもなく美しい行動だろうし、それだけの相手を見つけられたとしても、ふとしたはずみで失ってしまうことも知っているから、願わくばその想いが、なるべく永く久しく続いてくれたらとは思う。

その人の数ある内の一面を見ただけであって、悪意を向けられたわけでもないし、人へ話したらよくあることだよね、と諭されもした。
身を置いてきた環境によって言葉の水準は違うし、嘘をつかれたという心象もないし、このことを教訓にひとつ賢くなれたらわたしも儲けもの、と結んでおしまいにできる。

それでも、今挙げたそれだけのことを踏まえても、わたしの中に少しだけ、不愉快な気持ちは残った。
言葉の威力を以て、相手を自分の意に沿わせてうまく運ばせようとして、そこに多少の好意はあったとしても、敬意はどこにあるっていうの?

実力以上の分までもたくさん欲しがって、魅力ある言葉をあちこちへばら蒔いたり、遠くまで飛ばしてしまったら、手綱を離れたその言葉たちが、厳しい表情をしながら自分の元へ舞い戻ってきてしまうっていうのに、それが恐くないの?と問いたくなった。

* *


それだけささやかな事を、じっとり観察していたにも関わらず、先日、わたしも自分が放った言葉から、アッパーカットを喰らってしまった。

おだてに乗って、心と口先が解離して、言葉をそこらへ放り投げる、ひどく雑な振るまいだったように思う。
引き返してきた言葉には俊敏に気付けたけれど、直ぐ様打ちのめされて、恥ずかしくてたまらなくて、自分の全部を取り替えてしまいたくなった。

慰めの言葉をかき集めて、細くなったところへ肉付けしてしまえば楽になれるけど、羞恥心を鈍らせたくないと思う。
動じなさに憧れもあるけれど、また元の位置へ戻れる自分を信頼して、思いきり心を揺れ動かせることだって、いずれ力になのだと信じていたい。

こういう場面でいつも、親しい友人が過去にかけてくれた、忘れがたい言葉がよみがえってくる。

まだ学生の頃、自分の悩み事はさも前人未踏なもののように大げさに騒いで、いつもそれを親友である彼女に聞いてもらっていた。
彼女はわたしのみっともない部分を、そうは見えないように、上手に繕ってくれていたことに気付いたのは、うんと時間が経ってからだった。

その日も電話で話した後に、聞いてくれてありがとうね、と彼女へメールをしたら
『話を聞いてアドバイスしたりするけど、いつも電話を切ってから、もっと別の表現や提案があったんじゃないかな?って考えてしまうんだ』と、すぐに戻ってきた返事を読んで、心の底から自分の幼さを恥じた。

気が済むまでペラペラ話して、すっきりしていた本人をよそに、彼女はわたし以上に、まだ “ 悩んでいるわたし” の傍について、どうすれば力になれるかを慎重に探り当てようとしてくれていたのだ。
彼女の優しさの奥行は測り知れないな、もうずっと敵わないんだろうなと感じた。

幼かったから、目立つものに価値があると信じていたし、すぐに答えが欲しかったから、正解を示してくれそうな、自信ありげに声を通す人に惹き付けられてばかりだった。

だけど、とんちんかんなアドバイスしか出来なくても(彼女の提示するものは的を得ていたけど)
優しい目線をお伴に、最大限まで寄り添ってくれる人の方がうんと貴重で、末長く付き合っていける相手なのかもしれない、そんな予感をも彼女は授けてくれた。

みんな、自分の事情に追われてせわしないから、彼女のように自分の発言を顧みてばかりいられないかもしれない。
でも、言葉への畏怖の念は本来みんなして持っているもので、それを忘れずに思慮深く発言できる人の言葉に、いつも目を覚まさせられてばかりいる。

そしてつい最近、友人本人へこの昔話をしたところ
『そんなこと言ったの覚えてないなあ。でも、いまだにそんな風に思うことあるかな』と言うものだから、彼女が自分の内側で確実に彼女らしさを育てていることに、また心は嬉しさで満ちていった。

まるで、秘境にある透みきった泉に身体をあずけたら、見栄や意地が自分から溶けだしてゆくような。
そんな心地の良さに、浸されているようだった。

Arisa