言葉のランドスケープ

日々のときめき・きらめきを見つめて

さよなら夢子ちゃん

こんなことを書いたら、精神に支障があるとか、現実に弱すぎるとか思われても仕方がないだろうけど、自分にとってのリアリティが確かにそこに存在していたから、きちんと残す作業をしておこうと思う。

小さい頃から、そうとは悟られないよう平静を装ってきたけれど、男兄弟がいなかったことも拍車を掛けて、わたしは男の人に人一倍興味があったし、憧れだって、相当に強かったんじゃないだろうか。

テレビや漫画に登場する、わかりやすい格好よさを振りまく男性を見ては
『わたしもいずれ、こんな素敵な人と結ばれるはず』なんて自分へ言い聞かせたり、実際に好意を抱いた人が現れたらばあれこれ想像して、ときめきの地産地消みたいなことを繰り返してばかりいた。
現実では全く何も、動かそうとはしなかったのに。

ただ、皆が羨ましがる相手と一緒になりたかったのは、志が高いわけではなく、色んな人を見返したい、そんな邪な気持ちも大いにあったなぁと、今さらにわかる。
自分の内側の光を信じることが出来なかったから、ワット数の高い電球みたいな目立つ人が隣にきて、上からわたしを照してくれたらいいのに、なんて、まったく他力本願で頼りない話だ。

そんな幻想に散々付き合わされたのが、夢子ちゃんだ。
わたしが広大な幻想の海を泳ぎ始めた頃には、もう傍にいてくれて、こちらがちびまる子ちゃんなら、あちらはまるで親友たまちゃん、みたいな間柄だった。

絵空事を、うっとりしながら語り並べても
『はいはい、またいつものね』と少しだけ呆れながらも、嫌味などなく、とことん話に耳を傾けてくれる貴重な友人だった。数えきれないほど、彼女にすくわれていたように思う。

* *

そうして月日は経って、過去の熱心なアフォメーションの甲斐などなく、この秋にわたしが結婚することになったのは、いたって純朴で、すれ違いざまに皆が振り返るような・・・とはちょっと言い難い、ごくごく平凡な、心根のよい男性だった。
(もちろんこの成りゆきに、心底納得してはいます)

彼と初めて会った日の翌日、また会いたい気持ちが通い合って、最初に電話をした時に
『また会いたいって思ってくれて、本当に嬉しいです。これから、電話もたくさんできたらいいですね』と彼が言ってくれたことに、照れつつも、こちらだって嬉しさをひしひし感じていた。

けれど電話を切ってすぐに、嬉しさ所以ではない涙が、ぽろぽろと溢れ出して、止まらなくなった。
わたしの選択1つで、一喜一憂する人が突然現れたことや、かつてない速さで人生が展開されてゆくことへの戸惑いかなと思ったけれど、戸惑いの向こう側に、別の寂しさが騒いでいるのが見えた。

もう、幼いあの日みたく、自分の資質や前後の流れを無視して
『誰と結ばれるのかなー』なんて、無邪気に未来図を思い浮かべる機会は失われるんだ。
自分の中の、まるで砂糖の塊みたいな幼児性の残り分が、みるみる溶け出してゆくようだった。

あれほどに自分を浮かばせて、自由に存分に泳ぎまわっていた空想の海は、わたしの中に現実の領域が増えてゆくにつれ、存在感を薄めてゆき、いつしか直径1メートルにも満たないほどの、水溜まりぐらいにまで狭まっていた。

それは、わたしが現実の世界でちゃんと営みを送れている証であったし、“羨ましがられたい気持ち” を真ん中に据えて生きていたって、 空しいばかりだということも、とっくに知り得ていた。
それでも幼い頃から慣れ親しんだ、自分の海との決別に、切なさは込み上げてくる一方で。

これっぽっちの深さもない足元の水溜まりが、わたしと夢子ちゃんを繋いでくれていたけど、もうすぐに渇ききって、跡形なく消えてしまう。彼女ともお別れなんだ。

しばらく会っていなかった彼女が、いま、傍にいることに気付いたから、勢いよく抱きついて、別れを惜しみながらおいおいと泣いた。彼女は何も言葉を発しなかった。

小さい頃は、ふたりして同じような背丈をしていたっていうのに、時間の流れに巻かれて大人びてゆくのはわたしだけで、もう片方は、小さな女の子の姿のままだった。

散々わたしの妄想に付き添ってくれた夢子ちゃん、彼女そのものもまた、実在の人物ではなかった。

現実世界に友人はいたけれど、甘ったるい自己都合だけで作られた話に合わせ続けられる人なんて、そうそういないことの分別ぐらい、ちゃんとついていた。

だから妄想のプロみたいなわたしは、“妄想話を繰り広げられる居場所” すらも妄想の枠内で済ませるようにした。
そうして二重構造にすることで、自分の世界を守った。

ただ、自分次第でどうとでも出来てしまう、空想の産物の彼女の外見に齢を重ねさせなかったのは、一緒にいるのが相応しいのは子供時代だけに限定されていて、いつまでだって続けられるわけじゃないことに、無意識ながらも、人間としての大事な部分で、やっぱり理解していたからに思う。

やがて大人の時期になったら、自分以外にも守りたいものがたくさん出来てしまっているけれど、それらは決して人を窮屈にさせるものではなくて、制限を感じることがあっても、その分しっかり幸せも引っ付いてくれている。
人はその確信を、ちゃんと携えて生まれきているに違いないのだ。

『だから、ようやく会えたその人を、ちゃんと見つめ続けて。行く先で辛さに見舞われて、八方塞がりになったとしても、自分を甘やかすために海に潜っちゃダメ。そんな逃げ方を決してしちゃいけない。だからもうこの海は、ここで閉ざしてしまわなきゃ』
彼女とわたし、どちらが発したのか分からなかったけれど、真実の言葉がふたりの元へ降ってきたようだった。

『これからは、ずっと奥から見守っているから』
これは彼女の方の言葉なんだと、すぐに認識できた。
夢子ちゃんに体なんて無いはずなのに、泣いているわたしの髪をそうっと丁寧になでて、次に背中をさすってくれているような気がした。

彼女の顔をのぞいたら、寂しそうというよりも、ようやくお役御免だな、と言いたげな柔らかな表情、ずっと雲に隠れていた太陽がもうあと少しで滲み出てきそうな、そんな空模様の予感が詰め込まれているように映った。

自分の中から彼女を作り出して、過酷な少女期の手助けをしてもらって、また元の場所へ還しただけ、ただの、一人芝居。
だけどわたしは確かにひとつ、命を取り出して、時間をかけ育んでいた。それは、例え自分の分身、空想であっても、決して蔑ろにしてはならないのだ。
自分へ納め返すその時が来るまで、かならず。

* *

一晩明けて朝になったら、昨日の切なさなんて一切なく
『31歳になるまで付き添ってくれてたんだな、いやあ長い、充分すぎる』と、冷静になった頭で、そんな風に考えていた。

それにしても、昨晩の時点では、彼とはまた会う約束をしただけで、縁談話がまとまるのは、少し先の話だ。
後からなら何とでも言えてしまうけれど、彼と上手く運ばれてゆく、そんな勘が働いていたんだと思う。

彼との電話の最中、新しい、太い道を歩き出すような感覚を感じていた。
そこは見晴らしがよく、難が訪れても比較的備えやすそう。もちろん哀しいことが、いきなり横から飛び出してくることだってあるだろう。だけど、それすらも含んで安定していると言えてしまうような道。
『いつでもそこから外れる自由はあるけれど、それる理由も特に無いんじゃない?』と、囁く誰かの声だって聴こえてきたような。

それからまた数日が経って、不思議なことが起きた。
わたしは人は外見が何より大切、という思い込みが強烈で、それをひっくり返してくれそうな概念を耳に入れて、どうにか上書きしようと試みていたけれど、なかなかそれは叶わずに、自分を浅はかに感じられてならなかった。

だけど、ふとある映像を目にして(それまでにも似たものは何度となく観ていたのに)外見の美醜だけで人の価値は測れないことに、ようやく心底頷くことが出来たのだ。

永年の呪いが解けたことと、自分に掛けていた魔法を溶いたことに、関連性がないなんて思えない。
心って複雑に絡み合っているけれど、1ヶ所を紐解くことで、あっけなく他の場所も融解されちゃうのだから、反面すごく単純だとも言えてしまうかも。

隣にいる彼へ、どうしてわたしまで辿り着いたの?と、問いてみたくなる時がある。
あなたが心細くなったなら、髪をなでて、背中をさすってあげたい。そのために、血の通った自分の身体があると思えるの。

甘味は強くはない、だけど温かさが確かにある、ここがわたしの道、新しい海域。わたしはここを、泳ぎきろうと思う。

夢子ちゃん見ていて、と呟いたら、少しばかり血潮が疼き騒いだ気がして、これは彼女が呼応しているサインなんだと、そう思えてならなかった。

Arisa