言葉のランドスケープ

日々のときめき・きらめきを見つめて

また目が合う時までに

もう疎遠になってしばらく経つけれど、あれほど濃密に時間を共有し合えた彼女がもたらしてくれたものは、今もふんだんにわたしのなかに残ってくれているなと、つくづく思う。

彼女との時間において
『この友情はどの方位から眺めても美しいに違いない』と思い込んだわたしは、相手や自分を尊ぶために、見つめなきゃならない細やかなところを省みなくなっていき、どんどん彼女へ甘え、もたれ掛かり、ついには憤慨させるかたちで離ればなれになった。

最後に本心を聞いた時は、反省もショックもあったけれど、どこか
『やっぱりずっと怒ってたよね』と、ようやく確認を取れたんだ、という手ごたえすらあった。
(こうして書いてみるとまったくもって悪趣味)

そして少し時間が過ぎてから、わたしはわたしで、嫌な役回りをさせるよう上手に仕向けてくる彼女に対して、内心では静かな怒りがあったことに気付かされた。
そういう仕掛けをかわせるに越したことはないけれど、もしそんな自分だったとしたら、彼女と親しくなれていなかった気がする。

いつも冴えた予感はあるのに、それを見逃すようにして、決定的なことが起きてから、人生観を組み立て直させられてばかりだ。

『いずれ浮かび上がってくることが確実だっていうなら、もう、これからは微かな直感だって絶対にすくい上げるようにしよう。

勘が良いのは絶対に長所だけど、その授けられたものを無かったことにしてしまったら、先にいるわたしが過去の自分をすこし恨んで、その時間に見えていた風景にも陰を射してしまう。

そんなものばかり過去へ送っていちゃいけないな、それが勘が良い人間の責任なんだな』

そんな覚悟を迎えて、ここがわたしの子供時代との、本当のお別れになった。

だから彼女へは、感謝しているとか、申し訳なく思うとか、恨み言がたくさんあるとか、そういうことより何よりも、わたしが大人になる総仕上げの役割を担ってくれたんだと想っている。

・・・その想いの出所は、あまりに複雑な感情に収集がつかなくなったから、ちょっと無機質な概念のなかに記憶を入れ込んでおきたいだけ、かもしれないな。

* *

彼女へ甘え倒していた頃、こんな話をされたことがあった。
その話のなかにだって “彼女とあなたは絶対的に、ちがう人間でしかあり得ないんですよ" なヒントは盛り込まれていた。

『彼に対して “わたし、なんで生きているのかわからない” って話したことがあってね。そしたら彼が “そんなの俺だってわからんで。でも、死ぬよりかはマシやから生きてるだけやで” って言ってくれて、心がすごく楽になったんだよね』

その彼とは顔見知りだったから、ああそんなこと、あっさり言いそうだよな、慰めなんかじゃなく本心だからこそ、彼女のプレッシャーをひとつ軽めてあげられたんだろうな。
そうしっくりしつつも、ふたりのやり取りに対して『ちょっと暗いな』と思う自分の心境に、驚かされていた。

ふたりをバカにしたり、かわいそうと見下したわけでは、絶対にない。

他の人はさも当然のように持っているものが、自分の手元には見あたらなくて、どこで貰ったのか尋ねるのも憚られている気がして、こそこそ探し回ったり、誰かを利用して手にしようとするけど、もうそれら全てのことが、惨めでたまらなくて。

そうだいつか本に書いてあった通りに、ひとつ、ふたつ、みっつと、自分は恵まれているはずの条件を挙げ連ねていけば、現れるかなと試みてみたのに、100個目を絞り出した時に、さっきまでの99個がなんの嵩にもなっていないことを自覚して。
積みあげたかったのは虚しさじゃないんだけどねと、誰かへ悪態をつきそうになった時のこと。

ふたりの言葉を聞いて、そういう時代の自分を思い出したから、決して他人事なんかじゃない。

それでも、ふたりの間から溢れた言葉は、いくら暗い話題に延々まき込まれようが、突かれたくない部分を連打されようが、今のわたしをどんな強力さでもって搾り上げたとしたって、最後の1滴からも出てきやしないんだ、と気付いてしまった。

彼女と知り合えた頃は、地面からすこし浮いた場所で、ふたり共ふわふわと漂っていたけれど、わたしは足元が頼りないまま生きてゆくのに耐えられなかったから、足場を強固することに決めたんだった。

それは自分の方法で、生きざまでもあったから、人へ容易に押し付けるものじゃないと知っていたはずなのに、いつも迷っているように見えた彼女に対して
『そうなんだ、それならこうしてみたら?』『わたしはこうしたけど』なんて、最後に置いていたのは提案ばかりになっていた気がする。

それよりも彼女は彼がくれるような、薄暗くても、だれにとっても目障りにはならない優しさの方が欲しかったし、必要だったのだと、今さらながら理解できる。
グレーゾーンで踏ん張れる力はそれぞれで、どこを鍛えるかは自由なのだから。
   
かたちの違うものが並んでいて、1度に1つしか手に取れなくても、選ばなかったもう片方を尊重することはできるのに、そういう眼差しが足りていなかったのだ。

そして、経験があるからこそ伝えられること、ばかりに注目していたわたしへ、同じ場所に今一緒にいることでしか届けられないものや、過ぎてしまったら寄り添えない領域があることを、教えてくれたようだった。

* *

彼女から最後に、見られたくない一面をちょうど断面にして、切れ味抜群に自分の一部を削ぎ落とされたときは、全裸を世界へ晒されたようで恥ずかしいし、傷口に風は当たって痛くてならなくて
『ひょっとしてあんた、この切り口を見つけるために、ずっと横で潜伏していたんじゃないの?』なんて、疑ってしまったくらいだ。

『あなたについての一切を忘れます』の宣言もされてしまったけれど、わたしの方は彼女を忘れたくなんかない。

出逢えて、親しくなって、織り重ねられた時間のなかには、素晴らしいひとときが無数に煌めいていて、離れる時でさえ大切なことを刻んでいってくれたのだから。

そして予感と同じように、起きた出来事をなかったことにしても、ろくな事にならなさそうだから。

それらを自分の端の端まで追い込んで、はじき出そうとしたって、それは際のところに留まって、目が合うまでこちらをじっと見つめてきて、逃してはくれない。
たくさんの過去を呪って、追いやろうとして、徒労に終わった、かつてのわたしからの教訓です。

ただ、彼女との今生の別れは、まだな気がしてならないんだなぁ。
当たらないでほしくてたまらないけど、未来が正面から迫ってくるのなら、いつ目が合っても恥ずかしくない自分でいたい。

そして予期できないその時に、向こうにだって、自分を恥じたりしないように、ちゃんと備えていて!と願ってしまうあたり、やっぱり彼女との日々はどちらかと言えば、綺麗で暖かいものばかりで作られた世界の方に寄っているんだよな。

それはこの先、どうやったって動かなくて、反対側へ覆ることもないから、良かったなと思う。

それは、世間で美しいとされる概念を先に立ててから、取り出すようにした言葉なんかじゃありません。

ほんとうの、本心からの、言葉です。

Arisa