言葉のランドスケープ

日々のときめき・きらめきを見つめて

死神さんといっしょ

わたしの文章を読んでくれた人から
『思考の力が強いんだね』と言われ、その見解はおおよそ当たっているよなぁと頷きつつも、それのみの力業とするには腑に落ちきらなかったので、自分の内側をじっくり内省してみたけれど、やっぱりわたしの言葉を汲み上げどころは、死の世界からなのだと思う。

要因についてはここで探求しないけれど、わたしは幼少の頃から自分の背後に死が直立して、離れてくれないことに気が付いていた。

誰に打ち明けたわけでもないのに、どうしてそれを死と認識したのかは分からないけれど、幼い子供のそばに居るには相応しくなく、あってはならない存在だということは、世の中の雰囲気から察することができた。

だからこの驚異を言葉にしてしまったら、わたしを見つめてニコニコしている大人達を困惑させてしまいそうだったし、上手に伝えられる自信も無かったので、口を固く詰むんで、直接的には何も訴えずに、自分の体や心のスペースの中に隠し込むようになっていった。
本当は恐くて恐くて、たまらなかったけど。

そんな秘密をわたしが抱えているとは露知らず、いつからか周囲の大人達が、物質的ではない世界や力についてのことを話題にする場面が、少しずつ増えていった。

今ではずいぶんと認知されつつあるけれど、まだまだ怪しまれてばかりの時代に、オカルト的な概念を抵抗なく、するりとわたしが受け入れられたのは、子供ならではの柔軟さと言うよりも、文字通り、背景の存在によるところが大きかったんだと思う。

死後の世界はうんと離れた場所になんかない。
隣り合わせどころか、こちらの世界と綿密に絡み合って、行ったり来たりじゃないか、と感じるようにさえなっていった。

大切な人を亡くした時にも、こちら側から少し見えずらい風貌となってしまっただけで、呼べばすぐ近くにまで現れていると思えてならないのは、17歳で決別するまでの十数年を、死神と過ごした恩恵と言える側面もあるのだと思う。

とは言え、いま小さな子供の傍らに死神の姿を目撃したなら、その子に悟られないようにこっそりと死神に耳打ちをして
『何を差し出せば立ち去ってくれる?』そう尋ねて、あらゆる手段を投じてでも、両者を引き離そうと躍起になると思う。

少しの安らぎがもたらされる間もなく、神経を磨耗させられる経験が、たとえ名声や大金を享受できるほどの大きな才能に化けたり、後世の誰かの励みとなる確約があったとしても、あんなのに付きまとわれずに済むのなら、それに越したことはないのだから。絶対に。

中流家庭に生まれ出て、取り立てるほどに秀でても劣りもしていないわたしの平凡さの中に、生の器の中で、死に囲い込まれ、その状況から必死に生の手ごたえをかき集めていた、複雑な入れ子のような子供時代だけに、数奇さが際立ってしまっている気がする。

今もって変わり者扱いされたり、どこか浮世離れした態度を取ってしまいがちなのも、きっとその数奇さ由縁によるだけだ。

そして、当時まったく自覚が無かったけれど、口を閉ざしていた分だけ、心の中で自分の言葉の水脈を、奥に奥に潜り込むように、ずんずんと引き続けていたのだ。
その水脈は今もたえず、わたしの中を巡り続けている。

あの頃と違うのは、そこから言葉を汲み上げて、自由に並べ整えあげて、光ある場所へ晒すことが出来るということ。
そうやって、子供の時に感じていた虚無感や絶望を、大人になってから、少しずつ世界へ放っているのだと思う。

* *

『亡くなった人のパーツは、目視できないほどの小さな原子となって土へと還り、そこに生えている樹の一部へと姿を変えているかもしれない。さもすれば、その人はまた別の命として生きているわけであって、死は哀しいことばかりとは言い切れない』

造形大学時代の恩師の一人が、わたしを含めてたった三人しかいなかった授業中、いつも通りの、淡々とした口調で語らしめていた死生観の一節だ。

かつて死に損なったわけでも、自死願望が強いわけでもなさそうなのに、世界の境目の瀬戸際の手前の手前くらいの位置から、向こう側を望郷や本番みたいにして眺めている先生を、また少し離れた場所から見つめているのがわたしだった。

死の話題がふっと湧いてくる時には今も、先生が傍を横切っている気がしてならなくなる。

『わたしも先生と出逢うずっと前から、同じようなことを考えていたんですよ』
あの時手をあげて、そう発言する機会はいくらでもあったけれど、なんだかそれをしてしまったら、でしゃばりで邪な気がしたから、もう慣れっこみたいな素振りで、またひとり沈黙を保っていた。

呑まれそうなくらいに巨な死の概念を、自分のなかで目一杯に砕いて微小なサイズまで分解して、こちらの世界に埋め込んで繋ぎ目を見出だそうとした、先生の心象の旅を思い浮かべると、行き着いた思想が似ていたとしたって、その中で目撃した一面ずつの景色は、その人だけのものでしか有り得ないと思えたから。

それにいちいち
『感性がおそろいだね、やっぱりそうだよね』と確認し合って頑丈にしなければならないほど、互いの思想は精度や密度の足りていない、弱々しいものでもないだろうから。
(確かめ合うことは、時に勇気になるけれど。)

言葉を飲み込んだけれど、喉元がつっかえた覚えなんて一切なくて、胸元には穏やかさが充満してゆくように感じていた。一緒にいた他のふたりは、何を思ったり、感じたりしていたんだろう。

それからしばらく経って、その先生が歴代の卒業生達の作品を、新入生へ講評する授業があった。
ある作品がスライドに写し出されて、この模型の作者は自分で命を絶ったんだ、と説明を添えながら紹介する一面があった。

その様子を見て
『そんな事情なんて話す必要ないのにね。先生、冷たいよ』と噂する人もいたけれど、温度のない話なんかじゃないと思えてならなかった。

『先生の優しさは分かりづらいだけで、本当には心根のいい人。それを感じ取れる感性が私にはあるの』なんて、言いたいわけじゃない。

ただ、その人が遺した作品に、その人の生き様を吹き込むことで、たとえ一時だとしても、作品に肉をつけ、血を吹き込もうとしているように見えてならなかった。
実際のところは分からない、分からなくて良いけれど、作品と作者への敬意を、どこかへ置き去りにする人なんかじゃないはずだから。

気が合うことをお互い感じ取っていた先生とわたしは、双方の立ち位置から見えたものを、話し合うことも度々あった。
意図していたわけではないけれど、そういう時には、他の人を寄せ付けない雰囲気を、醸し出していた気がする。

『そんな端まで寄ったりせずに、見通せない世界のことは後回しにして、もっと生の真ん中ではしゃげばいいじゃない』

私たちを見て、そう感じるまっとうな人もいただろうけど、まるで最初から決まっていたように、そこを定位置にされた人間が何かの "重し" になって、世界を支えている可能性もあるかも、なんて風にも思えたりする。

ただ、傍にあることも事実だけれど、"あちら" なんて軽々しく指差せないほどの離れた場所にあることだって、同じ次元で真実そのものには違いなくて。
並列して走る二つの距離の狭間に生かされているからこそ、きっと心を縦横無尽に漂わせることも、どこか1ヶ所に留めておくことも、私たちに許されているのだと思う。

そして死後の世界にお門違いな期待を寄せすぎたり、肝心なことを丸投げしてしまったら、こちらの世界から煌めきがこぼれ落ちて、自分自身のことを掴めなくなっていってしまうから、気を付けねば。
おおらかなことと大雑把なことは、似ているようで、全く違う世界の包み方であるのだろうから。

現実の世界でわたしの傍にいて、見守ってくれる人が、見事なまでの素早さで、この春に入れ替わっていった。
天の采配かは知らないけれど、わたしに必要以上の寂しさを与えないために、大きな力がうごめいた気がした。

一度きりしかないわたしへ、もっと誰かの一度きりを重ねて、 "もう触れない" という手触りをもたらしたい。
そちら側の感性だって、しっかり磨いていきたいと、静かに決意を改める。

生の季節が、わたしへ巡らされてきた。

Arisa