言葉のランドスケープ

日々のときめき・きらめきを見つめて

あふれだす望郷

人生において大切なことは何か、を突きつめてゆくと
“自分のことを好きになること” そして
“自分の幸せのあり方を追求してゆくこと” の、たった2つにまで絞られるそうな。

幸せのあり方の格言の方は、言語化までうまく運べずにいたわたしのもどかしさを、見事なまでに昇華してくれたように思う。

わたしは自分の輪郭が、悪い方の意味でボケていた時期が長かったため、その様子を見て心配になった人から薦められたものを
『いや違う、絶対に合っていない』と、ちゃんと感じていながらも、取り入れることを渋々繰り返していた。

そうして結局は、時間もお金も労力も、そして何より自身への信頼を損なっていって、ひとりになった時に思い出しては悔しがったり、悲しんでばかりだった。

『自分の違和感が少しでも光った時は、その光を無いことにするのはよそう、それで誰かの善意を受け取れなかったとしたって、それは仕方のないこと』と決め込んでからは、少しずつ断る力を身につけてこれたとは思う。

NOと宣言した際には、相手が落ち込んでいるように映って見えてならなくて、その度に胃に切り傷がつくように感じたりもした。
(内実は、総てわたしの中で起きている葛藤でしかないよな、と分かってはいたけれど。)

けれど断ったところで、何も問題は起きないし、大丈夫なんだと、ずいぶん世界を信じられるようにはなったけど、もしこの先誰かから、その人が信じている幸せのかたちをつき出され、わたしの人生へ強引にねじ込もうとしてきた折には、さっきの格言を以て上手く回避しようと思う。
うん、しめたぞ。

『わたしはわたしの幸せの追求をしますから、あなたはあなたのために幸せを追求して下さい』

とは言え、真実を帯びている強力な言葉を、相手を屈させるためだけに使ってはならないとも思う。
言い返せない分そんなことをしてしまえば、大きな怨念となりかねない恨みの芽を、相手の中に根付かせてしまうことになるだろうから。

それだけの言葉を発する時には、自分と相手、双方の人生への祝福を乗せなければならないはずで、きっとそれが人の品の良さとしても表れてくるのだと思う。

* *

以前の勤め先にいた頃、顧問税理士の先生が主催する懇親会に、1度だけ参加したことがあった。

建設業を営む社長さんが隣の席にいて、わたしへ話し掛けてきてくれたのだけど、これまでに参加してきた豪勢なパーティのことばかりを話題にされて、心底関心を抱けなかったことがある。

『○○の著名な人が来たりしてね、会場になったゲストハウスは浜崎あゆみさんも使ったことがあって・・・』と、若い世代の女の子が興味を持てそうなことを織り混ぜながら話してくれているのに、心は微動だにせずしらける一方だった。

その心境はそのまま顔に表れていたようで、社長さんから、なんかごめんね・・・と謝られる始末、しまった!と、さすがに少し申し訳なくなった。

それから数ヵ月後に、知り合いの家に遊びに行った時のことだ。

リビングのテーブルの上を見たら、その家主も参加しているビジネスで成功した100人、いわゆるセレブ達を特集した雑誌が置かれていた。

『こういう本を見て、憧れちゃうなあ、と思うお金持ちの人を見本にして同じように振る舞えば、自分もその人みたくなれるんだよ』と、享受された知恵に、一理あるなあと納得しつつも、その雑誌に少しも手が伸びなかったことを覚えている。
(そのビジネスに関心がなかったこともあるけど)

セレブの日常を収めたDVDなんてのも用意されていて、それを映したテレビ画面へ釘付けになっている人を横目に
『こんなに家が広かったら掃除が大変じゃない。いや、お手伝いさんを雇えばいいのか。でも家事掃除は自分でしたいかな』

そんな感想を見つめながら、人が究極的に目指す場所は同じとしても、道中見たい景色はそれぞれ全然違うものなんだ、一緒くたにしちゃならないな、なんてことを考えていた。
画面の中の人をもう一度観たら、今度は波乗りサーフィンをしていた。

* *

『あなたにとって幸せの形って?』と尋ねられた時には、ある景色のなかで暮らす自分の様子を伝えることにしている。

厳しさだけでなく、おおらかさも感じる森の中、湖の傍にある一軒家でわたしは暮らしている。
家の中には生活用具が一通り揃っていて、窓辺には可愛らしい小物なんかも飾られている。

そこで自然に即した暮らしを送りながら、友人たちや、はたまた初対面の人を住みかに招き入れ、簡単な飲み物を振る舞って、お互いが最近や過去に味わったこと、そこから見いだした世界の秘密みたいなものを、こっそりと確認しあっていたりして。

時には、後悔していることや恥ずかしかったこと、今でも後ろめたさでいっぱいなこと。
そういう小声でも話しずらい事を打ち明けても、聞いた方は驚きもせずに、大洋のような眼差しで相手を見つめながら、ただ、うんと頷いている。

同時刻に、たとえば街でパーティがひらかれていたとして
『自分達は呼ばれなかったはみ出し者』とひねくれたりなんかせず
『もっと大切な事があるのに』と、何かを蔑むことで、自分達の価値観の方が優れているだなんて思い上がることもせずに、ただきらびやかさが違っているだけ、ときちんと分かっている。
こんな景色を、幼い頃からずっと思い続けている。

そこにいる私はやはり女の人だけど、幼女にも見えれば、老婆になって現れる時もあるから、普遍的な話をするのにきっと年齢なんて関係無いのだ。

そんな森に直接行った覚えはないから、昔読んだ絵本の刷り込みかなと思う半面、もう身体を持っていない誰かの記憶かもしれないな、なんて勘ぐることもあった。
『あの場所へ帰りたい』と切望することが、幾度となくあったから。

自分の一部があの森の中で育ったことも手伝って、お金がないなら質素に暮らせばいいじゃない、な価値観は、わたしの細胞へばっちり染み込んでいる。

それで得られた素敵なことは多々あったから、これからも大切にし続けるけれど、たくさんのお金を動かす事だって、やっぱり今の日本においては大事な価値観に違いないわけで。

そもそも、森のあの暮らしを実現しようと思ったら、ある程度のお金は絶対に必要なのだ。

のんびり寛いでばかりの様子を思い描いてばかりで
(古典的な労働の例えでなんですが)薪を割るとか、畑で野菜を育てるとか、労働についての事をいっさい排除してきたなぁと思う。

そして、稼ぐことを後回しにしてきたツケは、いま現実世界で返ってきていて・・・あぁ刺さるよ!

* *

あの景色のままに、こちらの世界で暮らすのはまだうんと難しいけれど、現実へあの景色が流れ込んできた!と感じたことは何度も経験してきた。

大学時代にアルバイトしていた和菓子屋は、なんだか垢抜けきれないけど、年中並んでいる定番商品も、季節ごとに変わる生菓子もすべてが美味しくて、地元の人から親われているそのお店のことが、わたしは無性に好きだった。

ある日、一人きりで店番中、お客さんも誰もいなかった時に、陳列していたお菓子ひとつずつから
『あなたのことが好きだよ』と、ささやかれている気がしてならない事があった。

『うん、わたしも好き』と心の内で返答したら、誰かと心が通じ合った時のように、わたしの中が嬉しさで満ちていって、次第にそれらは体から滲み出て、お店の壁や天井へ届くほどに拡がっていき、今度はわたしを包み返してくれているような幸福感を覚えていた。
次に入ってくるお客さんには、最高の接客が出来るな、と確信しながらも。

もちろんわたしには、モノの気持ちがわかる特殊能力なんて持ってはいないので、そんな経験をしたのは菓子屋に勤めた5年の日々で、その1日限りのことだったけど、ここへ仕事に来て本当によかった、そう思うには充分すぎる経験だった。
(でもこれが菓子ではなく、植物や動物や鉱物とかのジャンルだったら格好がつくのに)

そして、また別の場面において。
地元の街を歩いていた時に、なにか特別だったり、素晴らしいものを見聞きしたわけじゃないのに、わたしの深奥の部分が、きらきら光っていることに唐突に気付かされた。

光はオレンジ色をしていて、綺麗な夕日の色だなぁとしみじみ感じていたら、次は黄色、やがて青になったりと、ゆっくり色彩階調が変化してゆくのが分かって。

外のわたしを飾り立てるために必死に何かを揃えようとしなくても、色とりどりの宝石があなたの中にあるよ、と言われているようで、自分がすごく完全なものに思えてならなかった。

手にぶら下げていた、コンビニで買った菓子を見て
『これは本当には必要ないものだ』と心底思えたことが、ストレスを食事で発散していた身には、なかなか衝撃的だった。

わたしが私の真ん中を生きていて、次の瞬間にどう振る舞うのかが、頭ではないところで分かる。
型は決まっているのに、窮屈どころか、ずっとずっと自由で、わたしの所作から無限さが拡がってゆくようだ。
自分が鮮烈に立ち上がってくるけれど、独りよがりではなくて、周りとちゃんと調和している。

この宝石の光の中だけから言葉を取り出していけたら、生涯誰といさかい合うこともなく、わたしを見掛けた人は、躊躇なく声を掛けてくれるような世界へ行けるだろうな。

そうだ、わたしが欲しいのは、本当には小屋でも自由な時間でもなく、これそのものなんだ。
あの望郷に満ちている素敵なものは、いつだってわたし次第で、こちらの世界に呼び寄せることが可能に違いないのだ。

けれど、最近はどんどん望郷から遠ざかっている気がしてならなくて。望郷を懐かしむ自分のことすらを、懐かしいな、とさえ思っていて。

また触れてみたいな、わたしを潤わせてあげたいな、という想いから、文章にしてみた次第です。

Arisa